異なる普通で他人を評価するのは難しい

異なる普通で他人を評価するのは難しい

エマジェネティックスの研修を受講すると、人によって「普通」が違うということに衝撃を受けます。

「普通、○○だよね」

という言葉を日々あちこちで耳にしていたり、過去の自分が発言していたりします。

ところが、その「普通」が人によって違う、つまり全員にとって当たり前の「普通」は存在しないのです。

ところが、どんな時も人は自分が正しいと思うこと、自分が良いと思うことを全力で行います。

その判断基準は、自分の普通で考えてしまっています。

右から左までいろんな人がいるけれど、自分が一番真ん中にいると思ってしまっています。

まるで、円形スタジアムの中心であるかのように感じているのです。

 

ポイントはみんな「良かれ」と思って判断し、行動しているということです。

ところが、その「良かれ」が他の人の普通にとっては、全く非常識であったり、普通ではなく異常であったりする場合があるのです。

それはエマジェネティックス研修で学んでいるのに、つい忘れてしまいます。

 

このメカニズムこそが、コミュニケーションの問題を引き起こします。

 

この自分の普通に従って判断することを「バイアスが掛かっている」と言います。

このバイアスからは何人たりとも逃れることができません。

すると、自分の普通は決して世界の中心でないことがわかります。

他人から見れば偏っているのです。

Grayscale Photo of Man Thinking in Front of Analog Wall Clock

にも関わらず、つい、自分の基準で他人の行動や発言を評価してしまうことになります。

エマジェネティックスを理解し、研究すればするほど、他人を評価することの難しさを痛感します。

組織で仕事をすれば、どうしても部下の評価をしなくてはなりません。

そのとき、自分のバイアスをどれだけ排除して評価できるか?

エマジェネティックスインターナショナルジャパンとしても、まだこうすればよいという回答を得ることが出来ていません。

非常に大きな課題であると思っています。

これからも、どうやってバイアスを最小化するかを研究していきたいと思っています。

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