仏教・マインドフルネス・アドラーの心理学そしてエマジェネティックス

仏教・マインドフルネス・アドラーの心理学そしてエマジェネティックス

エマジェネティックスについて学べば学ぶほど、私達日本人に親しみ深い教え、考え方、文化的背景は、エマジェネティックスの本質と親和性が高いと感じます。

仏教

最初にお断りしておきますが、私は仏教徒ではありません。
知識として、そういう教えがあると学んだことであり、ここで記載するのは、私の理解でしかありません。
予め、学術的、宗教的には間違いがあるかもしれないことをお断りしておきます。

Gautama Buddha figurine near plants

仏教では、この「生老病死(しょうろうびょうし)の苦しみ」は避けられないと教えているそうです。

そして、それらの苦しみは「一切皆苦(いっさいかいく)」であるとのこと。
一切皆苦は、「人生は自分の思い通りにならない」という意味で、思い通りにならずに悩んだとき、「苦」を受け入れ理解すれば苦しみから解放され、明るく生きていけるということだそうです。

そして、世の中は全て「諸行無常(しょぎょうむじょう)」であるとされます。
諸行無常とは、「すべては移り変わるもの」という意味で、世の中に不変のものはなく、絶えず変化し続けていくと言われます。
金銭・物・地位・名誉・人間関係など、さまざまな物事に対して、変わらないよう願ったり「変わらないはずだ」と信じたりすることが「執着」となり苦しむこと繋がるが、「すべて変化するものだ」と考えれば、変化にともなう苦しみから解放されるとのこと。

さらに「諸法無我(しょほうむが)」だとも言われます。
諸法無我とは、「すべては繋がっている」という意味だそうです。あらゆる物事は、互いに何らかの影響を与えることによって存在しているということと言われます。
自分という存在も、すべての繋がりのなかで「生かされているのだ」と考えれば、苦しみから解放されるというわけです。

最終的?には、「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」に至るとされています。
涅槃寂静は「悟りの境地」のことだそうで、すべての煩悩と苦しみをなくし、安らぎの境地に辿り着くことを指すとのこと。
人は不平不満を感じたとき、自分以外の存在に対して怒りを向けがちですが、怒りは相手に対する疑念や誤解、プライド、欲望など自分の煩悩が原因だとされているそうです。
ですが、先の「一切皆苦(いっさいかいく)」であり「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「諸法無我(しょほうむが)」であることを理解し、身に付けてしまえば、怒りを他人に向ける必要はなくなるということのようです。
人生でどのようなことが起きても心乱されず、安らいだ状態を保てるよう修行を重ねて悟りの境地は、誰もが苦しみから解放され、幸せに生きられるというのが仏教の基本的な考え方と理解しています。

マインドフルネス

マインドフルネスは、1979年にマサチューセッツ大学の医療センターで開発された「意図をもって、今の瞬間に、評価や判断を手放して、注意を払うことから、わき上がる気づきの状態(アウェアネス)」ということだそうです。

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なんだか難しく感じますが、「日々の心配事や不安な気持ち、仕事や他人からの評価など、つい頭に浮かんでしまうことを鎮め、『今』だけに集中できるような精神状態を意識的に作っていく」ことと説明されます。
「今この瞬間」に注意を向けて、「良い・悪いという判断をせず」「自分がダメだ」「がんばらなくては!」という感情を手放して「あるがままを受け容れる」と説明されていることもあります。

仏教の考え方と非常に似ていると感じます。

アドラーの心理学

この10年くらいで日本でも有名になったのがアドラーの心理学
日本ではフロイトとユングが有名ですが、世界的にアドラーをいれた3人が「世界三大心理学者」とされるそうです

From above crop African American male in casual clothes sitting on comfy couch and answering professional female consultant questions in modern psychotherapy office

アドラーの心理学に関する本も多数読みましたが、心理学の本というよりも、哲学、倫理、生き方の指南のように感じます。

以下はwikipedia からの引用です。

目的論(Teleology)
アドラー心理学では、個人の悩みは、過去に起因するのではなく、未来をどうしたいという目的に起因して行動を選択している、と捉える。アドラー心理学は、認知の歪みがある人や、感情と言動に不一致がある人に対して有効であり、周囲の同調圧力が煩わしければ、いっそのこと関係性を切り、自分が本当に歩みたい人生を、主体性に積極的に生きていくことを推奨している。

個人の主体性(Creativity)
アドラー心理学では、個人を、例えば、心と身体のような諸要素の集合としてではなく、それ以上分割できない個人としてとらえる。したがって、アドラー心理学では、心と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に矛盾や葛藤、対立を認めない。それらは、ちょうど自動車のアクセルとブレーキのようなものであって、アクセルとブレーキは互いに矛盾し合っているのではなく、自動車を安全に走行させるという目的のために協力しているのと同じように、個人という全体が、心と身体、意識と無意識、感情と思考などを使って、目的に向かっているのである。

社会統合論(Social Embeddedness)
人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。
人間は人間社会において生存しているものであって、その意味で社会に組み込まれた社会的存在なのである。社会的存在であるので、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになるが、個人の中では分裂はしていなくて一体性のある人格として行動している。すべての行動には対人関係上の目的が存在している。社会に統合するというよりも、最初から社会的存在なのである。

仮想論(Fictionalism)
アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。

見れば見るほど、仏教の教えと似ているな~と感じます。

エマジェネティックス

心理学の研究において、人間が日々おこしている「行動」の90%以上は、「無意識」のもので、「意識的」に行動しているのはほとんどの人が10%以下と言われます。
「無意識」に行動している場合、エマジェネティックスで示される特性の通りになっていることが大半です。
意識的行動の割合を増やすのはある程度の訓練で可能になると言われていますが、どんなにがんばっても20%を超えることはないそうです。
つまり、私達は日常生活の8割以上が、自分の特性、即ち「普通」に支配されていると言えます。
普通と異なる行動を取れるのは2割以下しか無いということです。

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ところが、つい、この事実を忘れていまいます。
相手のことを自分の普通で判断して「あの人が悪い」「駄目な人」などと評価してしまうわけです。
これ、原因を他人に向けてしまっています。
自分に矢印が向いていない状態です。

そして、これが対人関係を悪化させる主原因です。

よく、「他人と過去は変えられない」と言います。
今あることは過去に起きたことの結果ですから、この瞬間は変えられないわけです。
残念ながら、今、この状況は「あるがままを受け容れるしかない」ということ

まさに、仏教やマインドフルネスが教えてくれることですね。

相手の特性をあるがままに受け容れると、対人関係を悪化させなくてよくなるはずです。
アドラーは人の悩みは全て対人関係であると言われていたそうです。
となると、エマジェネティックスが教えてくれる特性を、仏教やマインドフルネスの教えに従い、ありのまま受け容れることで、対人関係が良くなり、悩みが消え、心穏やかな日常を手に入れることができると思うのです。

そこに厳しい修行は必要ないのがエマジェネティックスの良いところだと思います。

 

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