最近、なんとなくうまくいかない日が続いたときに、気づいたことがあります。
わたし、落ち込むより先に「まあ、そんなこともあるか」と思っている。
どうやら「受け入れる」ことに関しては、少し得意みたいです。
でも、、ふと考えたんです。
それって本当に「受け入れている」のか。
それとも、ただ「目を背けている」だけなのか、と。
そんなことを考えていたら、あのイソップ童話を思い出しました。
イソップ童話に登場するキツネが、高いところに実ったブドウを取れず、
「どうせ酸っぱい(美味しくない)に違いない」と言って、立ち去るお話があります。
本当は欲しかったのに、手に入らなかったとき、
その悔しさを感じないように、対象の価値を下げて、心を落ち着かせようとする。
そんな心のはたらきを、
心理学では「 酸っぱい葡萄理論 」と呼ぶそうです。

たとえば、
「任されなかったけど、忙しかったからむしろ助かったくらい」
「プレゼン落ちたけど、相手の見る目がなかったってことで」
「欲しかったけど、よく考えたら似合わなかったし・・」
「本当は手を挙げたかったけど、競争になるし、無理しなくてよかった」
そう言いながら、どこかで“やっぱり悔しいな”とか、
“少し残念だったかも”と感じていることってありませんか?
その“ほんの少しの悔しさ”を見て見ぬふりしてしまうと、
気づかないうちに、自分の本音を誤魔化すクセがついてしまう。
それが、「酸っぱい葡萄理論」のちょっと怖いところです。
とはいえ、このメカニズムは悪者ではありません。
私たち人間が長い時間をかけて身につけてきた、
心を守るための自然な仕組みでもあります。
嫌な気持ちやストレスを少し和らげて、
どうにか前を向くための“心の知恵”。
むしろ、この仕組みがあるからこそ、
傷つきすぎずに生きてこられたことも沢山あるのだと思います。
「で、何が言いたいのか?」と言われると、毎度のとおり
このブログに着地はありませんが・・・・(笑)
私はずっと、
「自分が選んだ道を正解にする」
という言葉を大切にして生きてきました。
人生にはいくつもの分岐があるけれど、
最初から“唯一の正解”が用意されているゲームではない。
選んだものを正解にしていけばいい。
そう思ってきたし、この考えは今も好きです。
でも今回、酸っぱい葡萄のことを考えていたら、
ひとつだけ新しく気づいたことがありました。
道を正解にしていくためには、
前提として“自分の本心をきちんと受け止めること”が必要なのだ、ということです。
合理化して割り切ってしまうほうが簡単なんですけどね。
しかし、自分が本当はどう感じていたのかを丁寧に扱うことこそ、
後から選んだ道を“正解”に変えていく力になるのだと思います。
自分自身のあり方としても、
マネジメントを担う立場としても、
忘れてはならない視点だと感じました。
皆さまの中にも心当たりがある方がいらっしゃれば、
ぜひ一度、
「もしかして、これは“すっぱい葡萄”になっていないだろうか?」
と、ご自身に問いかけてみていただければ幸いです。

【プロファイル】
緑・赤・黄色の3色顕性、自己表現性・左寄り、自己主張性・左寄り、柔軟性・真ん中

