遅ればせながら、「おぱんちゅうさぎ」にはまっております、米田(ま)です。
アニメも観たことがなければ、設定も知らないのですが、恐らく世の中にあふれている「おぱんちゅうさぎ」のグッズを目にし過ぎて、
知らず知らずのうちに「刷り込み」されていたようです。
ガシャポンを見ると「回さなければ・・・」、シールを見ると「買わなければ・・・」と、もはや使命感に駆られているような感覚です。
さて、今日は、最近読んでいる「東洋哲学」の本と、その考え方の話をしようと思います。
東洋哲学、あまり馴染みが無い方もいらっしゃるかと思います。
私は本を手にするまで、東洋哲学の考え方については、ほぼ無知でした。
(実は日本人の生活に結構馴染んでるけど、気付いていないことが殆どだった、という方が正しいでしょうか)
東洋哲学は、インド、中国、日本などアジアで発展してきた思想体系の総称です。
「諸行無常」とか、「道(タオ)」とか、あと有名な人でいうと「空海」とか。
一度は聞いたことがあるかと思います。
単なる知識の探求ではなく、自分の心に向きあい、心を楽にして生きる、
そんな感じの学問が、東洋哲学です。
そんな哲学にハマったのは、去年の夏頃だったでしょうか。
代表の岡本が、別のスタッフに「・・・でも、哲学って大事やからなぁ・・・」とぼそぼそ囁いていたその一言、
それが、そのスタッフではなく、傍で聞いていた私のハートにクリーンヒットしたのがきっかけでした。
「そういえば、哲学って、そもそも何だろう?敢えて今まで交わってこなかったな・・・。なんか分からんけど、知りたい。」
私の興味がムクムクと膨らんでいき、そのまま哲学の本を探すべく、本屋さんに向かったのでした。
初めて読んだ、哲学の本の冒頭のフレーズです。
「哲学とは、【問い】の学問です。」
やだ・・・。
なんか分からんけど、カッコいい・・・。
これで更に心を掴まれ、哲学への興味が広がっていったのです。
が---、
私、めっちゃくちゃ飽き性なんです。
1冊目半ばで、「なんか分かった気」になってしまい、次第にその興味が消え薄れていきました。(早。)
今考えると、初めて読んだ本は「西洋哲学」について書かれた本だったんですよね。
ギリシャで発展した哲学です。
なので、「ロゴス!」とか、「イデア!」とか、強そうなカタカナが多く出てくる思想だったんです。
だからか(?)、読んでいる内に何を言っているのか分からなくなってきたのと、
加えて、
西洋哲学は、「自分とは、なに!!」「真理ってどこにあるの!!」と、とにかく理論を追及する学問なのです。
「なぜ。」
「なぜ!」
「なぜぇええ!!!」
何故の深堀りに、青最潜性の私は、恐らく脳がショートしてしまったのだと思います。
そこから半年が経ったこの春、Kindleでふと『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(しんめいP 著)という本を発見し、
表紙のチャーミングさと、作者の経歴(東大卒 → 大手IT企業 → お笑い芸人 → 無職)に惹かれて、ぽちっとしてみました。
これがまた、今の自分にぴったりフィットしたのです。
私と同じ「赤・黄・緑顕性」の方は、読みやすいかもしれません。

東洋哲学、面白いです。
米田なりの解釈でいくと、東洋哲学は、
例えば、悩みごとがある時や誰かに対して怒りを考えた時に、
「まぁ・・一旦お茶でも飲もうや。」と言ってくれるような、そんな哲学です。(どんな哲学)
思想を築き、発展させた人たちは、恐ろしく厳しい環境に自分を置いたのですが、
最終、色々、色々まとめると、
「まぁ、自分なんて何者でも無いで。」
そんな風に説いたのです。
そんな、ちょっとゆるりとしたところが、自分の性に合ったのだと思います。
東洋哲学からみるEGの考え方
本を読んでいる時に、「ん?これEGの考え方と繋がる部分あるんじゃね?」と思ったところがいくつかありました。
例えば、「縁起」。
東洋哲学の核心は「無我」-つまり、「『自分』なんて無いのさ。自分は、どこにも存在しないんだ。むしろ、水は自分、自分は水、全部繋がってるんだぜ(=縁起)。」そんな考え方です。
え? (∵)
後半、全然意味わからん。どういうこと?と思った方多いと思うのですが、
ここを論理的に説明するのはちょっと私の苦手分野なので、今回は割愛しますね。(特性を言い訳にするな)
何年か前に初めて部下ができました。
当時の私は、「上司って、万能、有能。スーパーマンみたいになんでも出来ないといけない!」というイメージがあったので、
「頑張らなければ!」「私がしっかりしなければ!」と自分に負荷をかけて、頑張っていました。
そうして走っていると空回りをすることも多く、最終的に疲れてしまったんですよね・・・。
「私、全然、できひんやん・・・」
自分の無力さと、「上司って皆が皆、何でもできる人ばかりではないんだな」ということを実感した、
今となっては良い機会でした。
そんな時に、うちの講師である髙田の言葉が、またまた私の心にクリーンヒットしたのです。
「リーダーはスーパーマンじゃない。メンバー全員の『脳』を使うのが、リーダーの重要な仕事」
わ、かっこいい・・・。(惚)
これを、『管理職向け実践研修』にて、髙田が受講生の方に話しているのを見て、
後ろのサポート席で、誰よりも、ぶんぶん首を振って、聞き入っていたのは私です。
その言葉は、それ以来ずっと私の「目印」になっています。
実際、EGIJの若者たちって優秀な子が多いので(身内なのにすみません)、
自分一人で頑張るより、皆を頼った方が圧倒的に早いし、いいものが出来上がるんですよね。
「私はこうあるべき!」「頑張らなければ!」と固執したり、一人で背負い込むのをやめる。
そのままの自分を受け入れて、メンバーに「みんなの力を貸して!」と頼る。
そうしたら、「上手くいくさー」という「縁起」の考え方は、
EGの「We-team(※)」の概念にとても近い気がしています。
あくまで米田の解釈です。東洋哲学に詳しい方、違ったらごめんなさい!
※ 全ての特性が揃っているチーム。それぞれが、互いの強みを活かして物事を進めると、驚くほど高い成果がでるよという考えです
「特性」と「スキル」は違う by Chris Cox
一方で、「ん?東洋哲学の考え方とちょっと違うやん」という話をしようと思います。
今年の2月、世界でただ一人「永世アソシエイト(Life Associate)」という称号をもつ、〈 Chris Cox 〉のワークショップを受講する機会がありました。
Chrisは、皆さんがワークショップの時に体験している「アクティビティ」の殆どを、開発した、
もはやこの人がいなかったらEG出来ていないのでは?と言っても過言ではない、凄い人です。
Chrisのワークショップの中で、凄く印象に残っている言葉があります。
「EGの特性(好み・傾向)と、スキル(技術・能力)は別物。リーダーは時として、自分を『演じる』必要がある」
(ちょっと違うかもしれませんが、趣旨はこんな感じです!)
例えば、
・自己主張性が左寄りでも、時には右寄りのように、皆を引っ張っていかなければならない時がある。
・自己表現性が右寄りでも、ぐっと言葉を飲み込んで、聞き役に徹しなければならない時がある。
こういうことです。
これは、何もリーダーに限った話じゃないと思いました。
個々人みんな好み、傾向はあるけれども、人がもうひとつ上のレベルに上がるときには、苦手だけど頑張る、とか、
自分とスキルを切り離して考えて、知識を蓄えたり、スキルを磨くことは必要なことなんだよなぁと解釈しています。
EGを使っていると、
「『自分の特性を活かしたリーダーシップ』の発揮かぁ・・でも、それだけでは上手くいかないシーンもあるしなぁ・・」
とちょっとモヤモヤすることが有ったので、このChrisの言葉でぱっと目の前が明るくなりました。
Chris、ありがとう!!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
「あるがまま」を重視する東洋哲学の考え方と、
時に自分に負荷をかけて、磨き、成長するChrisの教え。
どちらか一方だけでなく、いずれの考え方も、自分を豊かにする為には、大切なのだろうなと感じています。
自分を高めつつ、何か壁にぶつかった時には「まぁ、一旦お茶でも飲もうや。」と言える心の余裕と、しなやかさを持っていたいものです。
( ^^) _旦~~
ふぅ・・・今日は長々と語ってしまいました。( ´Д` A “`
長文でしたが、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!

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