発言や行動の変容を強要することが、心理的安全性破壊の根源

発言や行動の変容を強要することが、心理的安全性破壊の根源

エマジェネティックスプロファイルは、その人の脳の使い方を教えてくれるツールです。

人間の発言、行動の95%以上は、無意識下で行われている

この事実を、多くの人が正しく理解していないようです。

人間の95%以上の発言行動は、コントロールできないのです。

このコントロールできない時の発言、行動は、エマジェネティックスで示された「利き脳」によって行われます。

エマジェネティックスで「顕性」と言われる脳は、人が無意識下で使っています。

逆に「潜性」と言われる利きではない脳は、意識しなくては使えません。

この無意識下で使っている脳によって行われた発言や行動を、利き脳が異なる人は、「嫌な発言」「不快な行動」に感じることがあります。

これを、「アンコンシャスバイアス」と言います。
参考:お互いさま・おかげさま

他人の発言や行動も、その行動や発言を「良い」「悪い」と感じるのも、それぞれ、無意識下で行われています。

コントロールできないのです。

そのため、どんな人も「アンコンシャスバイアス」をゼロにすることはできません。

同様に、他人が嫌だと思う発言、行動をゼロにすることも、その発言や行動が無意識下で行われている以上、ゼロにはなりません。

前述のとおり、意識してそうしたことを無くそうとすることができるのは、全体の5%未満だからです。

他人と過去は変えられない

昔からずっと言われて続けていることばです。
ところが、つい、「あの人には○○であってほしい」と願い、他人を変えようとすることがあります。

我が子や部下に対して「あなたの○○の部分を直しなさい」「○○であるべき」という教育、指導を様々な場所で見ることがあります。

「私はこんな事を言いたいのではない。あなたの為に嫌々言っているんですよ」という前提がそこにはあります。

ですが、こうした発言をする指導者の「○○でなくてはならない」も、その指導者の利き脳が判断させていることです。

異なる利き脳にとって、それが良いこと(悪いこと)に感じるとは限りません。

脳が異なると、唯一絶対的に良いこと、悪いことはないのです。

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異なる脳を利きとしている人に対して、「○○でなくてはならない」と言うことは、自分が考えている「普通」を相手に押しつけているだけです。

ところが、相手の利き脳が異なるなら、その発言を「良いこと」だとは思えない可能性があります。

その場合は当然、「受け入れることができない」と感じるでしょう。

 

相手が子供や部下の場合、受け入れることができなくても、これ以上叱られるのは嫌だとか、親や上司を悲しませたくないとは思うでしょうから、表面上は「受け入れたフリ」をするかもしれません。

ですが、それは利き脳による基準とは異なるため、たとえ本人が受け入れたと思っていても、深層心理では受け入れることはできていない可能性が高いのです。

「あなたの○○の部分を直しなさい」「○○であるべき」という指導に対して、「それはできない」と反論された時、指導者が烈火のごとく怒ることがあります。

相手に対して、「あなたの為に言っているのに、なぜわからないのか?」「人の話を聞かない駄目な人間だ」と断じてしまうのです。

なぜなら、こうした「○○であるべき」と発言をする人達は心の底から「良いことをしている」と信じているからです。

無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)ですが、無意識であるが故に気付かないのです。

 

従来から言われているように、「他人と過去は変えることはできない」のに、それを求めても実現しません。

エマジェネティックスは、科学的にそのことを裏付けてくれました。

特性が異なるため、心の底で「納得できない」と感じているからです。

「我慢する」ことは「変わる」こととは違い、ストレスを感じます。

変わるとは、我慢する必要なく、ナチュラルになることです。

これは、脳の使い方が変わることを意味しますから、エマジェネティックスプロファイル(利き脳)を変えるということです。

統計上、プロファイルが変わることは極めてまれであり、大きなストレスをはじめ、様々な代償を払わねばなりません。

他人に「あなたの○○の部分を直しなさい」「○○であるべき」と指導することそのものが、不可能なことを強要していることであると理解する必要があります。

 

他人の利き脳の弱点克服を求めるのは、人格の否定・攻撃

エマジェネティックスは、個人の脳の特徴を「強み」として使うことを推奨しています。

弱点に着目するのではなく、強みに着目するように求めています。

弱点の克服に注力すると、本来持っていた強みを発揮できなくなることを教えてくれます。

つまり、「あなたの○○の部分を直しなさい」「○○であるべき」と、異なる特性が求めることを強要することは、「私の好みにあわせて発言・行動しろ」と命じていることであり、その人の「強みを消せ」と言っていることであり、ストレスを与えていることでもあります。

多様性を認めていない、相互理解を否定していることになります。

これが強く表れた状態の一つが「モラルハラスメント」と言われる状態です。

A team confronts a stressed colleague at a tense office meeting, highlighting workplace dynamics.

モラルハラスメントの加害者の多くは、「あなたの為に言っている」「家族のために言っている」「この組織のために言っている」と主張します。

しかし、被害者は猛烈なストレスを感じ、メンタルヘルス不調に陥ります。

人格攻撃されていると感じるからです。

なぜなら、上記のように、利き脳を使うなと命じているからです。

「あなたの発言・行動の95%以上(=あなたの利き脳)はダメなことです」と言われているのと同じです。

言われた人は、自分らしくいること、利き脳を使うことを禁じられるわけです。

ありのままの自分でいてはいけないと言われているわけです。

特に、上司や両親から言われたとしたら、自己重要感も自己肯定感も持てなくなるでしょう。

そんな環境や関係性に心理的安全性を感じるわけがありません。

心理的安全性とは、「ありのままの自分でいても対人関係は悪化しないと信じることができる状態」なのですから、ありのままの自分でいることを禁じられれば、そこに心理的安全性は作れません。

「あなたの○○の部分を直しなさい」「○○であるべき」と、異なる特性が求めることを強要することは、相手の人格を否定し、心理的安全性を破壊しているのです。

多数決という暴力が分断を生む

組織の中では、「あなたの○○の部分を直しなさい」「○○であるべき」という発言をする人がよく言うのは、「嫌な思いをしているひとがいるから」「その数が多いから」というものです。

これは、多数派が少数派に対して、少数派が嫌がることを強要していることに等しいのですが、「自分は良いことをしている」と信じているため、全くかみ合いません。

もし、多数派の言うことが正しい行いであるなら、歴史的に以下のような出来事は起きていません。

  • ガリレオが唱えた「地動説」を弾劾裁判(多数決)により強制撤回
  • ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニは民主的選挙(多数決)によって選出された
  • マスコミが誘導した世論によって日本政府は大平洋戦争の開戦を決意

Astronomers gathered around a table with celestial charts and instruments.

多数いるからということを根拠にするのは、非常に危険です。

21世紀になって、米国のみならず、先進国の多くが分断社会になったと言われます。

自分にとっての普通=自分にとっての正義を相手に押しつけることは、組織や社会を分断するのです。

エマジェネティックスは、違いを受け入れるための道具

エマジェネティックスを導入している企業で、以下のような発言を聞くことは珍しくありません。

「エマジェネティックスの特性を知っているでしょ。○○の特性が嫌がるのに、そんな発言や行動はするべきではないでしょ。もっと気をつけるべきです」

この発言は一見すると正義の発言に見えます。

しかし、ここまで説明してきたとおり、多くの問題を抱えた発言です。

 

世の中では「自分に矢印を向けろ」ともよく言われます。

「相手に○○しろ」と言っている人は、発言した段階で矢印が他人に向いています。

自分が自身に対して「自分に矢印を向ける」ことを意識することは重要ですし、尊いことですが、他人に対して要求した段階で、自分に矢印が向いていないという矛盾があります。

 

そして、気をつけろと要求していますが、気をつけて発言、行動できるのは、5%に満たないのです。

つまり、もともと科学的に不可能な要求なのです。

そして、この発言をしている人は、自分の利き脳にとっての「良いこと(悪いこと)」を基準として、相手に押しつけています。

エマジェネティックスは、「何が良いことで、何が悪いことかという基準は、人それぞれ」だということを教えてくれているのに、その多様性を拒絶する発言になっているわけです。

 

もちろん、相手が「気をつける」と言えば、その場は収まるでしょう

しかし、前述のとおり、常に気をつけることはできないことは、科学的に証明されています。

できてもわずか5%に満たないため、同じ事が繰り返されます。

なぜなら、相手の発言行動は、相手の利き脳が引き起こしているからです。

つまり「気をつけます」はできない約束なのです。

 

「気をつける」と相手に言わせればよいということなら、相手の普通を認めず、自分にあわせることを強要したということです。

これこそ、先に述べた「分断」を誘発しているのです。

相手を認めない行動で、多様性を受け入れないということです。

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こうした発言をする人は、相手も同じことをその人に対して感じている可能性を考慮していません。

対照的なプロファイルであるなら、自分が相手に対して不快に思ったということは、別のシーンで相手も自分に対して不快に思うことがあるということです。

お互いにそんなことがあるはずなのに、一方的に要求しているのです。
参照:お互いさま・おかげさま

なぜ、こんなことが起きるのか?というと、おそらくは、心理的安全性についての誤解があるでしょう。

 

心理的安全性に関する誤解

上記のような発言をする人はおそらく、「心理的安全性を高めるには仲良くしなくてはならない」「心理的安全性が高い職場は、楽しく優しい職場である」「心理的安全性とは『思いやり』であり『いい人』でなくてはならない」と誤解していると思われます。

しかし、これは明確に間違っていると多くの研究者が断じています。
参照:エマジェネティックス→心理的柔軟性→心理的安全性

心理的安全性が高いとは、以下であるとされています。

  • 相手と意見が違ったなら、対立を恐れずに「自分はそうは思わない」とはっきりと自分の考えを伝えられること
  • 相手が間違っていたり、至らないと思うところがあれば、「それは違うのではないか」とお互いに率直に言い合えること

上記ができるなら、仲良しである必要も、居心地を追求する必要も、優しくある必要もないのです。

逆に、相手と意見が違う時にそれを言い出せない組織、チーム、対人関係は、心理的安全性が存在しないということです。相手が間違っていると思ったときに、それを言い出せないのは、心理的安全性が担保されていないからです。

Close-up of 'It's Okay Not To Be Ok' message on Toronto pavement.

 

心理的安全性を高めるのに必要なことは「○○でなくてはならない」を捨てることであり「あるがままを受け入れる」ことです。

他人と過去を変えることはできないので、「そんなこともあるよね」と受け入れることです。

相手の特性を駄目だと糾弾しないことです。

 

我々は誰もが、異なる特性に助けられていることがあるのです。

美点凝視することです。

良いこと、強みに着目することです。

エマジェネティックスにより、人間というものは皆、異なっていることがわかります。

他人を変えようとすることは「○○でなくてはならない」を強要することであり、心理的安全性を破壊するのです。

こう言うと、次のような反論をする人がいます。

 

配慮は要らないということか?

そんなことはありません。

共同社会で過ごすのだから、一緒に過ごす人達に対する配慮は必要です。

しかし、他人がどの程度配慮してくれたのかはわからないはずです。

他人の考えは見えないからです。

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「あの人は配慮が足りない」と言っている人は、「あの人の発言や行動は、私の利き脳が要求する基準に達していない。だから、配慮が足りない」と言っているのです。

相手の本心がどうなのか、本当に配慮したかどうかではなく、自分の希望を叶えたかどうかという自分基準です。

つまり、その自分にとっての普通を相手に押しつけている発言なのです。

もしかすると、相手は配慮しているつもりかもしれません。

利きではない脳を使うのは、とても難しく、ストレスがかかり、正解を導き出すことが難しいからです。

他人の頭の中を見ることはできません。

利き脳が異なると、相手の真意を理解することも難しい。

相手がどれだけの配慮をしたのか(しようとしたのか)を、客観的に判断する手段はないのです。

 

こう言うと、「いいや、自分はできる(やっている)」と主張する人がいます。

そのような主張は、前述のとおり科学的に不可能です。

そのため、できている(やっている)と主張する人は、次のうちのどれかです

  • 自分ではやっているつもり(相手がどう感じているかではなく、自分の基準で主張している)
  • できていないことがあることに気付いていない
  • 本当は出来ていないのに嘘をついている

 

さらに、こんな反論をする人もいます。

では、我慢しろということなのか?

いえ、違います。

「我慢する」ということは「受け入れないが、反論しない、他人に従って行動する」ということです。

猛烈なストレスを感じるはずです。

嫌だと思ったことがあるなら、「○○の特性にとっては嫌だと感じました」と事実を伝えればよいのです。

「あなたは・・・するべきだ」というYouメッセージではなく、「私は・・・と感じました」というIメッセージです。

Youメッセージ(相手を主語にする)とIメッセージ(自分を主語にする)が、組織の「心理的安全性」に与える影響については、複数の心理学・行動科学の理論によってそのメカニズムが説明されています。

Youメッセージは、相手の自由な意思決定を制限する「支配的・統制的な言語」と見なされることが多く、問題の原因を「相手の資質や能力」に直接帰属させる傾向があります。相手の行動や人格に直接焦点を当てるため、聞き手の「自律性」を脅かし、心理的安全性の基盤である「対人リスクを取れる確信」を奪うとされています。

Iメッセージは、話し手自身の主観的な感情や状況を「情報の共有」として伝えるため、聞き手の自尊心を傷つけず、建設的な対話を促進すると言われています。

つまり、Iメッセージと同時に、他人の行動や発言の変容を求めることなく、「そんなこともあるよね」とマインドフルに受け入れることが重要なのです。
参照:仏教・マインドフルネス・アドラーの心理学そしてエマジェネティックス

 

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そこに「良い(悪い)」という、アンコンシャスバイアスを入れて、相手に行動変容を求めることが駄目なだけです。

どんな人も、嫌われたいとは思っていません。

事実を知れば、その後は自分の強みを活かして、どうすれば良いかは相手が自分で考えれば良いのです。

人格の否定をされないのであれば、どうにかしたいという欲求が生まれるでしょう。

エラーを減らす努力はできるでしょう

エラーを減らす努力は、本人の利き脳を使って行えば良いのです。

 

それでも、エマジェネティックスの科学が教えてくれるのは、自分にとっての普通を相手が完璧にできるようにはならないということです。

そして、もし、完璧にできるようになったら、その人はその人らしさを捨て去っている可能性が高いでしょう。

その人の強みを消しているのです。

前述の通り、猛烈なストレスをかかえ、心理的安全性を感じていないはずです。

 

お互いの違いを理解し、受け入れ、嫌だと感じることがあるかもしれないことも含めて違いを受け入れることが必要です。

その上で、互いにとって、よりよき行動、発言をするにはどうすればよいかを話し合うことが必要です。

それは、決して、相手を一方的に糾弾することではありません。

自分が相手のために努力することは尊いことですが、相手に自分が思う発言や行動を強要しては元も子もなくなるのです。

Youメッセージで相手を糾弾すると、対立を生み、分断を生むだけで、心理的安全性を破壊し、問題解決どころが、深刻化させてしまいます。

私は、「完璧ではないけれども、あの人は苦手ながらも頑張っているね」となることを目標とすれば良いと思っています。

できないことに注目するのではなく、できていることに注目し、相手の強みに着目するという、エマジェネティックスの基本を実行するだけです。

 

エマジェネティックスは、「他人の特性にあわせた行動を強要すること」をゴールにしてはいけない

エマジェネティックスの入門ワークショップでは以下を体験し、学びます

  • 人によって「普通」が異なる
  • 誰しも良かれと思って(会社のため、お客様のため、同僚のためになると思って)発言・行動している
  • 自分の利き脳が、自分とは異なる脳の発言行動を「悪い」と感じているだけで、相手は「良い」と感じている可能性が高い
  • 利き脳を封印することは大きなストレス
  • 利きではない脳については理解が極めて難しく、完璧に理解することはほぼ不可能
  • 自分にとって利きではない脳を使うことは、ストレスが大きく、利きと同じレベルの成果を出すことは至難の業
  • 強みを活かすことで成果が上がり、多様なメンバーで協力し合えば、短時間で高い成果を出せる

ワークショップ受講後、「他人の特性にあわせて行動する」こと、すなわち、利き脳を使うことを許さず、利きではない脳を理解し、利きではない脳を常に使うことを強要する人がいます。

しかし、上述のように、それは大きなストレスがかかり、難しいのです。

苦手な事に取り組むことは尊いことではありますから、やるべきであると考えがちです。

しかし、前述のとおり、科学的には不可能な要求なのです。

それなのに、「できる」前提で求めるのは、心理的安全性を破壊します。

Close-up of a light box displaying 'Nobody is Perfect' inspiring self-acceptance.

「できない」という前提に立って、マインドフルに受け入れるための道具としてエマジェネティックスを使うことをゴールにする方が、建設的であると思います。

 

なお、このマインドフルに受け入れるのは「スキル」であり、誰でも訓練によってできるようになると言われています。

個人的には、エマジェネティックスを「正しく」理解すれば、自然と習得できてしまうと思っているのですが、いかがでしょうか?

かつては、僧侶が修行の先で身に付けていたスキルを、科学を正しく知ることでクリアできるのです。

それがエマジェネティックスのすごさであり、真骨頂だと思っています。

 

※ このブログの内容を、動画で簡単にまとめています。

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