矢印の向き

矢印の向き

「自分に矢印を向けよう」と良く耳にします。

person's left hand doing gun sign

個人的には、この言葉を次のように解釈しています。

過去と他人は変えられない。未来と自分は帰ることが出来る。
今の自分は、全て自ら選択してきた結果であり、今の結果は、過去の自分の責任でしかない。
つまり「因我に有り」ということ。
それは、「空が青いのも、電信柱が高いのも、ポストが赤いのも全て自分の責任である=転原自在」と考えること。

そのため、「自分に矢印を向ける」という考え方は、心理的柔軟性を広げるための、基礎的な考え方の一つだと思っています。

※ 心理的柔軟性については、こちらの過去記事をご覧下さい。

心理的柔軟性が狭い場合、多様であることを受け容れ難くなります。
そのため、「○○でなくてはならない」と考えることが多く、そうではない人の発言、行動、人格を受け容れなくなることが多いとされます。
理想とする行動をとらない人や意見を拒絶したり、非難したり、攻撃したりすることもあります。

こうした人の中には、「あの人は自分に矢印が向いていないからダメだ」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
ところが、この発言こそ、「自分に矢印が向いていない発言」であることに、当の本人が気付いておられません。
「あの人は・・・」と言っている段階で、自分ではなく、「あの人=他人」に矢印を向けているのですから。
他人に対する矢印なので、その指摘をしたところで、その人が変わる可能性は低いでしょう。

心理的柔軟性を広げるとは、仏教やマインドフルネスの考え方にも通じる「あるがままを受け容れる」というスキルを上げることと言われます。

参考:仏教・マインドフルネス・アドラーの心理学そしてエマジェネティックス

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そのためには、自分の理想を押しつけるのではなく、他人と自分は全く違うということを理解し、お腹に落とすことが必要です。
エマジェネティックスは、まさに、他人と自分が違うことを教えてくれる科学です。
たった5時間のワークショップで、参加者の違いを自らの目で確認し、体験し、衝撃を受けます。
だから、お腹に落とすことができるのです。

ところが人は忘れる動物です。
研修から1年も経過してしまうと、自分と他人の普通は全然違うということを「つい」忘れてしまい、「つい」、自分の普通で判断、発言、行動してしまいます。
しかも、誰しも「良かれ」と思っての発言、行動です。

心理的柔軟性を広げるためには誰もが良かれと思って発言、行動しているということを理解し、且つ、その発言、行動が他人には「良かれ」と思えないことがあるという事実を理解し、お腹に落とすことが必要となります。
自分が嫌だと感じることは、自分だけのものであることがお腹に落ちれば、相手に対して腹が立つこと、落胆することは激減するでしょう。
そのため、定期的にエマジェネティックスを体系的に思い出し、理解を深めていくことが、心理的柔軟性を広げていくことに繋がります。
エマジェネティックスプロファイルが、人によって違いがあることを示してくれるからです。

man standing on street at daytime

心理的柔軟性が広がれば、「あの人が悪い」というのではなく、「あの人にとっての良かれが、自分にとっては良いことに思えないだけ」と考えることができるでしょう。
「自分は自分、他人は他人」と割り切れるでしょうし、それは「お互い様・おかげ様」と考えるようになるでしょう。
他人に矢印を向ける必要はなくなります。
他人でなく、自分にだけ矢印を向けることが、結果的に心穏やかになり、心理的安全性の高い組織、環境をつくることに繋がるのです。

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